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徒然なること

塩野七生さん「ローマ人の物語Ⅰ・ローマは一日にして成らず」

2024-11-10

こんにちは、Portafortuna♪光琉です。

マダムが二日がかりで花壇の植え替えをしました。今回僕は一切手伝えなかったのでマダムが一人で全部しました。成長するまでしばらくは寂しい花壇ですが、その後は春まで綺麗に咲き誇ってくれると思います。お楽しみに。

ローマ人の物語Ⅰ・ローマは一日にして成らず

塩野七生さんの著作を読み返すシリーズ。トップバッター「ローマ人の物語Ⅰ・ローマは一日にして成らず」を早速読み返しました。ハードカバーなら一冊、文庫なら上・下2冊です。

この巻では、紀元前753年のローマ建国から同270年頃までの500年を扱っています。
伝承によると、トロイ戦争のトロイ側の英雄アエネアス(アイネイアス)は木馬の計で落城したトロイからわずかな人数で脱出に成功。ギリシア各地やカルタゴなどを遍歴した後、今のローマの近くに落ち着きます。そして時は流れて400年、アエネアスの子孫にあたるロムルスが紀元前753年4月21日に今のローマの地にローマを建国します。そのローマが次から次へと訪れる苦難・危機を乗り越え、勢力を拡大し、やがてイタリア北部を流れるルビコン川から南のイタリア本土を全て支配下におくまでの期間がこの500年です。
この500年という長い年月をローマはどのように歩んだのかを年代順に物語ってくれます。

僕はこういったあらすじと言うか歴史を想像するとワクワクします。元老院での議論ってどんなんやったんやろ?とか市民集会ってどんな人が演説したんやろ?どんな話し方したんやろ?なんてちょっと高尚な想像から、カピトリーノの丘から見た景色はどんなんやったんやろ?ロムルスってどんな顔しとったんやろ?サビーニ族の女の人たちってそんなに美人やったんやろか?とか、現代よりもっと空は青かったんかな?星は綺麗に見えたんかな?何食べとったんやろ?ワインは美味しかったんやろか?ごちそうと言えばどんなんやったんやろ?とかまでいろんな想像をしているとタイムトリップしてしまいます。

20年ほど前に初めて読んだ時は、「ローマの歴史の本やのに、なんかギリシアの話ばっかやな~」と思った記憶があります。でも今回読み返したら、実際にはそんなにギリシアの話は長くなくて、もちろんのことながらローマの話がほとんどで、そのローマを理解するために最低限必要なギリシアの政治・文化・経済について紹介してくれてあるぐらいでした。僕の記憶力なんて当てにならんな~。

読書感想文というより備忘録

読みながら感心したことや面白かったこと、興味をそそられたことなどを順に記載するだけの感想文です。もはや感想文ではなく備忘録です。

「好調の時期ですら一歩前進半歩後退と評してもよいくらいで、悪くすると十歩も二十歩も後退してしまい、もとにもどるまでに数十年を要するという、苦労の絶えない長い歳月の物語になる。だが、後にローマが大をなす要因のほとんどは、この五百年の間に芽生えはぐくまれたのである。」
最初が肝心。Portafortuna♪のこの8年がローマの500年に匹敵してくれることを願うばかりです。

「適時に適材が適所に登用されて力を発揮する例は、民族の興隆期にしばしば見られる現象である。」
この場合の適材とは人のことなのですが、Portafortuna♪に当てはめたら適「商」材かな?適時に適商材を適所に。う~ん、適商材はあるつもりなんですが、適時が問題か適所が問題か、はたまた登用する側の僕たちに能力が欠けているのか・・・。

「妥協の名手であった、ということは人間心理の洞察の名手であったということだが」
出ました!これですこれ。塩野さんのこういうとこが特に大好きなんです。なんて説明したら良いのか、言葉を言い換えてくれるんですが、その妙。覚書しとかないと。相手が何を望んでいるのか、どこまでは譲れるのか洞察できなければ双方納得しての妥協なんてできないですよね。できても結局長続きしない。う~ん。

「神に守り神を求めるギリシア・ローマ的な考え方は、考えてみれば人間性に自然な欲求である。これに、ユダヤ教よりは柔軟性に富んでいたキリスト教が、とくにカトリックのキリスト教が注目した。とはいえキリスト教は、一神教である。それで守り神的な役割は、聖者たちの受けもちとしたのである。・・・(中略)・・・キリスト教では、守護神とするわけにはいかなかったから、守護聖人と言った」
なるほど!守護聖人か、めちゃくちゃ頷いてしまいました。八百万の神が宿る国の日本では、野球の抑えのエースは守護神ですからね。
「神様、愚かな私めをお導き下さい」というのが一神教、「俺たちも頑張るから神様も見守ってね」というのが多神教。

「一神教と多神教のちがいは、ただ単に、信ずる神の数にあるのではない。他者の神を認めるか認めないか、にある。そして、他者の神も認めるということは、他者の存在を認めるということである。ヌマ(王政ローマ時代の二代目の王)の時代から数えれば二千七百年は過ぎているのに、いまだにわれわれは一神教的な金縛りから自由になっていない。」
世界を見渡すと納得ですね。日本も一神教化してきていない?

「ゆっくりと一歩一歩地歩を固めていくやり方はそれはそれで賞(ほ)められてよい生き方だが、組織にはときおり、異分子の混入が飛躍につながるという現象が起る。」
Portafortuna♪では人という異分子の混入は起こりえませんが、メニューやサービスの異分子は必要なのかな?

「スキャンダルは、力が強いうちは攻撃してこない。弱味があらわれたとたんに、直撃してくるものである。それが当人とは無関係なことでも、有効な武器でありうる点では変わりはない。」
これはよく聞く話ですが、後半部分が怖いですよね。そんなん防ぎようがないやん!

「改革の主導者とはしばしば、新興の勢力よりも旧勢力の中から生れるものである。」
旧勢力の人たちにはすでに力もあるし、間近で権力を見ているから欠点も欠陥も弱点も把握しやすいからかな?「自民党をぶっ潰す」と言ったのは自民党の小泉さんでしたね。

「指導的な立場に就いた者ならば、遅かれ早かれ、人々の嫉妬と疑いと中傷を浴びないではすまなくなる。」
今や指導的な立場に就かなくても、ちょっと目立ったり成功するだけでもすまなくなりました。生きづらい世の中ですね~。さっきの話じゃないですが、人間心理の洞察の名手ならばこれも回避できるのかも。

ギリシアの都市国家ポリスの覇者アテネに繁栄の絶頂期をもたらした指導者ペリクレスの言葉です。「アテネでは、貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは、恥とされる。」
この言葉には救われます。それはさておき、この言葉って僕の記憶の中ではローマのキケロが残した言葉として書き換えられていました。もちろん「アテネ」を「ローマ」に代えてですが。やっぱり僕の記憶力は怪しい。

ローマは成文法をつくるにあたり、さきほどのペリクレス時代のギリシアに三人の元老院議員を派遣しました。そのことについて。「衰退期に入った国を訪れ、そこに示される欠陥を反面教師とするのは、誰にでもできることである。だが、絶頂期にある国を視察して、その国のまねをしないのは、常人の技ではない。大学生の卒業旅行ではないのである。」
常人・常店で留まらないために肝に銘じておきたいと思います。それにしても最後痛快ですね。卒業旅行ね、確かに。でも卒業旅行は楽しかった。

「自由と秩序の両立は、人類に与えられた永遠の課題の一つである。自由がないところには発展はないし、秩序のないところでは発展も永続できない。とはいえこの二つは、一方を立てればもう一方が立たなくなるという、二律背反の関係にある。この二つの理念を現実の中で両立させていくのは、それゆえに政治の最も重要な命題となってきた。」
縦長の島国を挟んだ二つの大国の指導者の顔が思い浮かびます。一方はもうすぐなる人の顔ですが。

「見える人には、常に見えるのである。」
どうやったら見えるようになるんやろ?努力かな?才能かな?習慣かな?見えない僕には、常に見えない。

「兵士ほど、指揮官の能力に敏感な者はいない。無能な指揮官の下では、無意味に命を落すことになるからである。・・・(中略)・・・有能な指導者の存在が共同体にとって不可欠であることを、ローマ人は常日頃から理解し、認めていたということである。」
兵士にとっては生きるか死ぬかに直結するだけに切実な問題ですよね。我々にとっても有能な指導者を得られるかどうかここ最近特に切実な問題になってきているように思います。無能な指導者の責で戦争とか大不況になっちゃったらたまったもんやない。

「偉大な人物を慕ってくる者には、なぜか、師の教えの一面のみを強く感じとり、それを強調する生き方に走ってしまう者が少なくない。すべての事柄には、裏と表の両面があるのを忘れて。そして、真の生き方とは、裏と表のバランスをとりながら生きることであるのを忘れて。」
この場合、偉大な人物、師とはソクラテスのことです。腹心・部下・信奉者・支持者が狂信的になっていくの、確かによくある話ですよね。特に宗教が絡むと古今東西枚挙にいとまがないと言うか。宝塚歌劇団の脚本が歴史に忠実なら、フランス革命の主役の一人ロベスピエールにも困った腹心がいたな。

「堂々と自説を展開する人は、嫌われる場合も少なくない。」
海の向こうの国の偉いさん(になる人)をまたもや思い浮かべました。あの人が良いとは僕はあんまり思わないのですが、でも嫌われてもいいから堂々と自説を展開する人の方が魅力的だとは思います。自説の内容次第ですね。

「抜本的な改革とは、それを担当する人間を入れ換えることによって、はじめて十全になされるものである。」
やっぱりそうかな?だとしたらPortafortuna♪では抜本的な改革は難しい・・・困った。

「権力は彼らにとって、目的ではなくて手段である。」
そうでないと困ります。でも手にした権力でろくでもないことをやる輩もいるからな~、だったら権力が目的になってくれた方がまだマシかも。

「ローマ人には、敗北からは必ず何かを学び、それをもとに既成の概念に捕われないやり方によって自分自身を改良し、そのことによって再び起(た)ちあがる性向があった。負けっぷりが、良かったからではない。負けっぷりに、良いも悪いもない。敗北は、敗北であるだけだ。重要なのは、その敗北からどのようにして起ちあがったか、である。」
だから一千年も続いたんやろな~。Portafortuna♪も見習わないと。それにしても「負けっぷりに良いも悪いもない、敗北は敗北であるだけ」か、辛辣やな~。でも確かにそうやと思います。良い負けっぷりとかなんとか言うのってなんか言い訳がましい気がするもんな~。負けは負けときっぱり認めて、とっとと次の手を考える。よっぽど有意義で建設的やもんな~。

「人間世界では、はじめから遠い将来まで見透し、それにもとづいていわゆる百年の計を立て、その計を実行に移せる人間は多くはない。少ないから、天才なのだ。天才以外の人間は、眼前の課題の解決だけを考えて方策を立てる。だが、ここから進路は二つに分れる。眼前の課題の解決のみを考えて立てた方策を実行したら、結果としてはそれが百年の計になっていたという人と、眼前の課題は解決できたが、それは一時的な問題解決にすぎなかった、という人の二種類だ。」
めっちゃ興味深い。天才とは程遠い僕ですが、マグレでもなんでもいいので、せめて結果が百年の計になってくれるような計を思いつけやんかな。

イタリアブーツの土踏まずに位置するギリシア人による植民都市ターラント。偶発の事故がきっかけとなりローマはターラントと剣を交えることになります。準備万端とは言えないまでも着々と戦いの準備を進めるローマに対し、ターラントは臨戦態勢とは程遠い状況。「自ら血を流してまで祖国を守った経験のないターラント人は、存亡の危機が迫っているのに、それを感知する能力も失っていたのだった。」
・・・ち~ん。でも笑い事じゃないな、Portafortuna♪も一緒かも。

「気分を一新してくださいなどと説いても、なかなか全員で一新できるものではない。一新するには、一新せざるをえないようにする、つまりシステム化してしまうしかないと思う。」
まったくもってそう思います。

「こうあらねばならないという想いが強くなればなるほど、それとは理念的に相容れない体制に良い面があっても、理念的に相容れない体制であるというだけで、その良い面にさえはじめから視線が向かないのだ。」
痛い!イタたたた。でも「はじめから視線が向かない」、そうやろか?もっとタチが悪い気がします。つまり、視線は向くんやけど気づいた瞬間に目をつむり見なかったことにする。さすが自分自身のことなのでよくわかってる。

「古代のローマ人が後世の人々に遺した真の遺産とは、広大な帝国でもなく、二千年経ってもまだ立っている遺跡でもなく、宗教が異なろうと人種や肌の色がちがおうと同化してしまった、彼らの開放性ではなかったか。それなのにわれわれ現代人は、あれから二千年が経っていながら、宗教的には非寛容であり、統治能力よりも統治理念に拘泥し、他民族や他人種を排斥しつづけるのもやめようとしない。「ローマは遥かなり」といわれるのも、時間的な問題だけではないのである。」
この本は1992年に出版されています。それから30年以上経った今、世界中がなお一層閉鎖的になってきているように感じます。現代文明はローマのように一千年続くことはできないのかも。いや、ローマのように負けから学ぶ姿勢を持てばきっと大丈夫。Portafortuna♪だって一千年はないですが、数十年はきっと大丈夫・・・かな、そうあって欲しい。