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徒然なること

塩野七生さん「ローマ人の物語Ⅱ・ハンニバル戦記」を読み返す

2024-12-25

こんにちは、Portafortuna♪光琉です。

今年は涼しくなるのは遅かったのに寒くなるのは早かったですね。こんな寒いクリスマス記憶にない。
2024クリスマスアフタヌーンティーは12月29日(日)までの提供です。クリスマス過ぎちゃいますが28日も29日もまだお席空いていますので、今年最後の贅沢にぜひお楽しみ下さい。

僕が大好きな作家・塩野七生さんの作品を読み返すシリーズ、今回は「ローマ人の物語Ⅱ・ハンニバル戦記」です。ハードカバーなら第二巻、文庫なら3・4・5です。
第一巻では紀元前753年のローマ建国に始まり、北イタリアを流れるルビコン川より南のイタリア半島全てをローマが掌握するまでが取り上げられましたが、この第二巻ではその後のローマが、さらに勢力圏を広げ地中海全域を「マーレ・ノストゥルム(われらが海)」と呼ぶまでになる130年間が取り上げられています。
北アフリカ(当時は緑豊かな豊穣の地)の強国カルタゴとの間で繰り広げられた、地中海の覇権をかけての三次に渡る戦争(ポエニ戦役)がメインになります。中でも古代屈指の戦術家ハンニバルとの第二次ポエニ戦役はハラハラドキドキの連続です。マケドニア(アレキサンダー大王より後の時代)や他のギリシア諸国との関係も見逃せません。

面白い!一回目読んだ時こんなに面白かったっけ?マダムは「面白かった」って言ってますが、僕はここまでだった記憶はなかったのですが、読み返してわかりました。次どうなるのか?この危機をどうやって乗り越えるのか?読むのを止められない。特に文庫で言う5は面白過ぎて二回読み返しちゃいました。

ローマ人の物語Ⅱ・ハンニバル戦記

「敗れた部族の同化には熱心だったローマ人だが、それゆえに上層階級に属す者にはローマ市民権を与えるのに鷹揚であったローマだが、自分たちの最高指導者に、かつての敵を、しかもわずか二十年後に選出したとは特筆に値する。だが、ローマ人のこの性向は、ポエニ戦役を闘っていくローマにとって、大きな利点をもたらすことになる。」
だからローマは覇権国家になれたんやな~、僕には真似できやんな。アメリカの大統領に日本人がなるようなもんでしょ?80年経ってますが、考えられない。民間企業がライバル会社の優秀な人をヘッドハンティングで引っこ抜いてきてトップに据えるのとは次元が違いますよね。すごい。

「長期にわたって実戦の経験をもたない軍隊は、弱体化を避けられない。紀元前三世紀当時のカルタゴは、海運国ではあっても、海軍国ではなくなっていたのだろう。」
スペインの無敵艦隊か、第二次世界大戦の時の日本の海軍みたいなもんかな。長期にわたって実戦経験をもってもらわないで済むならその方が良いですが。

ローマ艦隊を嵐が襲います。
「ローマ艦隊の舵をにぎっていたのは、「ローマ連合」に加盟している海港都市から参戦している、船乗りたちである。彼らは、嵐による被害を最小限にとどめるすべを知っていたが、その人々の舵取りに反対したのが、海に慣れていないローマの将軍たちだった。陸地も見えない海の上で嵐にほんろうされる恐怖に耐えきれなくなったローマ人は、海岸に近づくよう船乗りに命じた。それも、離れ離れにならないようにと、一団になって近づけという命令だ。船乗りたちは抗弁したが、経験のない人間に向っては説得も効果ない。しかも、経験のない人間のほうが、命令をくだす地位にある。・・・(中略)・・・結果は、地中海史上最大とさえいわれる海難事故である。」
仁和寺にある法師を思い浮かべます、全然「少しのこと」ではないですが。おまけに船乗りたちはその先達やのに。でもな、怖かったんやろし、経験なくてはわからんやろし、気の毒です。船乗りたちなんて巻き添えくったようなもんですよね。プロの意見聴いたって!

この海難事故でローマ艦隊の将軍だった二人は、翌年もう一度艦隊を任されます。
「敵方の捕虜になった者や事故の責任者に再び指揮をゆだねるのは、名誉挽回の機会を与えてやろうという温情ではない。失策を犯したのだから、学んだにもちがいない、というのであったというから面白い。」
ここらへんもローマが強国になれた理由なんだろうなと思います。でも、先ほどの海難事故6万人が犠牲になっているんですよ!本当にちゃんと学んどったらええけど、もし学んでなかったらどうしよう?とか思わんのかな?

第一次ポエニ戦役はローマが勝利し、「カルタゴは四百年の間築きあげてきた、シチリアでの権益のすべてを失った。それは、地中海の西半分の海を失うことでもあった。」「戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。」
戦争にかぎらずなんでもそうだとは思いますが、実践するのは難しいですよね。だいたい、経験を生かせるぐらい賢かったらそもそも敗北も失敗もせんと思うんやけどな~。だって途中で気づいて手打てるもん。

「ローマ人の面白いところは、何でも自分たちでやろうとしなかったところであり、どの分野でも自分たちがナンバー・ワンでなければならないとは考えないところであった。」
この考え方の方が良いんだろうな~。ナンバー・ワンかどうかは別として僕はなんでもかんでも自分達でやろうとしちゃうので疲弊してしまっている。なんでも手を抜かずに頑張っている自分ってエライって自分に酔っている感があるような。それで上手く行っているなら良いんですが、そうでないと心が折れるだけで良いとこがない。折れそうになった時に人に頼ることができるようならまだ良いのですが、そうはせずに、「これでもダメなら、さらに頑張ろう」となって悪循環に陥る。これはアカンパターンやな。

「ローマはこのように、同盟者とはケース・バイ・ケースの関係を樹立していたが、ケース・バイ・ケースはあくまでも「区別」であって、「差別」ではなかった。」
区別しているつもりがいつの間にか差別になっちゃっている、悲しいですよね。区別している側も、差別されていると感じる側もどっちも不幸になる。だから「これは区別であって差別ではない」ということを納得させる努力が必要ですね。

「良くつくられたシステムは、他の面でも機能しないではすまない。」
だからこそ良いシステムって言えるんでしょう。じゃあ、悪く作られたシステムは、他の面でも機能不全にならないではすまない、は当てはまるかな?当てはまりそう。

「累進課税の制度もなく一律に収入の十分の一だけを払えばよいとなれば、私でも喜んで払う。経費とか所得とか言いはじめるから、人間は悪智恵を働かせるようになるのである。一律十分の一となると、国税庁の規模は半減するであろうけれど。」
い~や、悪智恵を働かせる欲深い人間は常にいるから国税庁の規模は半減しないな。

「ローマ人は、肉食人種ではなかった。魚は好んだが、動物の肉には執着していない。戦闘の連続で小麦の補給が絶え、やむをえず肉を食べたという記述があるくらいだ。そのローマ人の主食は、小麦粉を使ったパンか、それとも小麦粉を主としたおかゆである。野菜や果物は好んだ。チーズや牛や羊の乳も好んだが、それらと魚類が蛋白源であったようである。・・・(中略)・・・ローマ兵の食事も、牛や羊の乳を入れて煮たおかゆかパンか、それにチーズの一片に玉ねぎに一杯の葡萄酒が、行軍中の食事だった。これで世界を征服したのだから呆れる。ちなみに、現代欧米人の肉好きは、彼らの祖先が、ガリア人かゲルマン人であったからである。」
現代のイタリア人からは想像できないな。この葡萄酒は赤かな?白かな?ゲルマンって肉って感じしますよね。

「しかし、ローマ軍の軍規は厳しいことで知られていたが、公正に実施されることでも有名だった。自分の息子を処刑させた執政官(任期1年の大統領兼国防長官)の話は、末長く語り伝えられたのである。」
泣いて馬謖を斬る、か。どこかの首相とか大統領に聞かせてやって。

「同時代人に比べて彼(ハンニバル)が断じて優れていたのは、情報の重要性に着目したことであった。」
情報って得るだけでなくそれを活用するとこまでもっていかないと意味がないと思うのですが、その活用するのが難しいんですよね~。

ローマでは貴族・平民の階級間の争いを避けるため、負け戦の将を処罰しない決まりでした。そのことに触れて。
「責任の追及とは、客観的で誰をも納得させうる基準を、なかなかもてないものだからだ。それでローマ人は、敗北の責任は誰に対してもも問わない、と決めたのであった。それでは、戦死した者は浮ばれないではないか、となりそうだが、長期的利点、つまり共同体の利益という視点に立てば、充分に浮ばれるのである。国論が二分していては、国力の有効な発揮は実現しない。国論が統一された結果国力も有効に発揮されれば、犠牲も少なくてすむようになる。人間とは、自分自身の犠牲は甘受する覚悟にはなれても、自分の子までが支配階級の無能の犠牲になるのまでは、甘受する気にはなれないからである。」
ローマ人って、冷徹で現実的で未来志向的な民族だな~と思います。

「天才とは、その人にだけ見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。」
あ~!言われてみれば確かに。真っ先に思い出したのはニュートン、そしてレオナルドダヴィンチ。ぼんやり暮らしているだけの僕は天才には程遠い。

「いかに巧妙に考案された戦略戦術でも、それを実施する人間の性格に合っていなければ成功には結びつかない。人はみな、自分自身の肌合いに最も自然であることを、最も巧みにやれるのである。紀元前四世紀の「アキレス(ホメロスのイリアスに登場する英雄。アキレス腱のアキレス)」は夜襲さえもしようとはしなかったが、ハンニバルは、前三世紀の「オデュッセウス(トロイの木馬計画を企てた智将。同じくホメロスのオデュッセイアの主人公)」であった。
ハンニバル戦記の中で最も印象に残った箇所です。読んだ瞬間、視界が開けたように感じました。
「こんなやり方ではしたくないな」と内心思っていても、「〇〇は必須」「〇〇が正解」とかなんとか読んだり聞いたりするとちょっと手を出してみる。でも本当はやりたくないから結局放り出す。そして結果は惨憺たるものになる。性格にあっていない戦略戦術だから当然の帰結か。自分の肌合いに最も自然な戦略を立てる、これは試してみたいな。

「人間、これまではずっと有効であったことを変革するくらい、困難なことはない。」
僕なんて有効どころか無効、もはや有害になっていることですら変革するのが困難です。

ハンニバル率いるカルタゴ軍がイタリア半島に攻め込んできて、さらに東西南北すべてに同時に敵対勢力をもつことになったローマ。
「統合参謀本部と化したローマの元老院は、絶望的なこの現状の打開に、はじめから大風呂敷を広げるという誤りは犯さなかった。全戦線は視界に収めながらも、必要に迫られている戦線から、当時のローマの力でできる範囲で、反撃を開始したのである。」
ここも特に印象に残った箇所です。的確ですね、絶望的な状況なのに。冷静沈着。

「国の危機には多くの国で国論が分裂するが、ローマではそれは起らなかった。これがハンニバルに対して徹底して敗北した後でも残った、ローマの真の強さである。」
意見が分裂しないなんてよっぽどやと思うのですが。ローマ市民全員の敵がハンニバル一人だけやったからか、あるいはローマ側に強力なリーダーシップを持った人がいたからか。

「多くのことは、それ自体では不可能事に見える。だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる」
ハンニバルの言葉です。5万の大軍と象を従えてアルプスを越えた人ですからね。そうかもしれやんけど、こちとら視点を変えること自体ができやんもん。

ローマの城壁すぐ近くまで進軍してきたものの、堅固な城壁に守られていた上に、ローマ側が応じなかったために結局は戦闘らしい戦闘もできないまま撤退したハンニバル。
「だが、このエピソードはローマ人の心の中に後のちまで残り、子供を叱るときに母親は、「戸口に、ハンニバルが来ていますよ」と言うようになる。」
閻魔に舌を抜かれる、みたいなもんでしょうか。後のちの時代の子供にハンニバルって言ってもわからんやろ!?って思いますが。

「私は以前にある作品の中で、リーダーとして成功する男の最重要条件として、彼がかもしだす雰囲気がイタリア語ではセレーノ、強いて日本語に訳せば晴朗にあると書いた。プブリウス・コルネリウス・スキピオ(この後ハンニバルを降しローマの危機を救うことになるローマの英雄)は、若い頃からこれを完全にもっていた。彼が演壇の上に立っただけで、人々にはこの若者を支持したい気持ちがわいてくるのである。」
重要な一条件ではなく、最重要な条件と言うのが興味深いです。さらに、リーダーになる条件ではなく、リーダーとして成功する条件というのも面白いです。これまでに僕がかかわったことがある人の中で「この人多分出世するやろな」と思った人が数人います。ここを読んでいる間その人達の顔が思い浮かんだのですが、全員まさに「晴朗」と表現するのに相応しい性格でした。なんでああいう性格になるのか、努力してそうなっているんじゃなくて、生まれつきそうなる素質があるんやと思うんですが、どうなんやろ?この中で何人の人が成功までしているのか知りたいな~。もし全員成功していたら僕には人を見る目があるということですね、何の得にもならんけど。

「信頼は、小出しにしないほうが、より大きな効果を産みやすい。」
なるほど、これはよく覚えておこう。

その年の執政官の一人に選任されたスキピオは元老院議会で発言します
「年齢は若いが戦場経験は若くないと思うわたしの考えでは、これまでに成功してきたことも、必要となれば変えなければならないということである。わたしは、今が、そのときであると考える。」
失敗してきたことですら変えるの難しいのに、成功してきたことを変えるなんて考えもせんな~。

「高齢者だから頑固なのではない。並の人ならば肉体の衰えが精神の動脈硬化現象につながるかもしれないが、優れた業績をあげた高齢者にあらわれる、頑固さはちがう。それは、優れた業績をあげたことによって、彼らが成功者になったことによる。年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成しとげられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。」
肉体の衰えによろうが優れた業績によろうが頑固であることにはかわりはないんじゃないのかと思うんですけど。成功したから頑固になった人も、加齢により頑固になった人もこの際関係なく、そもそも頑固者には改革はできないんじゃないのかな?

「それまでのローマの武将はフェア・プレイをもっぱらとする人々だった。フェア・プレイによって勝つことが、彼らの誇りでもあった。そのローマ人に、ハンニバルは、策略によって勝つのも勝利であることを教える。フェア・プレイで通しても、負けたのでは何にもならないことを教えたのである。そして、それを最も率直に吸収したのは、スキピオの世代のローマ人たちであった。」
戦争の話ですからね、「策略だ!」やら「汚い!」やら「卑怯だ!」やら、何と言われようが勝たなきゃしょうがない。一段とローマが強くなりそうです。

「優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。」
会社員だったころ「自分がいなくては」なんて思ったこと一度もないな~。大きな組織になればなるほど代わりなんていくらでもいるのが現実ですから。と書きながら今ふと思ったんですが、「自分がいなくては」と自分自身で思えるってよっぽど自分に自信がないとできないことですよね。ということは、部下も優秀じゃないと優秀なリーダーと持続する関係は築けない・・・。リーダー・上司の所為(せい)だけじゃなく、部下の所為にもなるのか。この年齢になるまで気づかなかったな~。

ローマの完勝で終わった第二次ポエニ戦役。ローマとカルタゴの間で講和条約が結ばれます。
「日本人である私にとってとくに興味をひかれるのは、ここには勝者と敗者しかいないという事実である。正義と非正義とに分けられてはいない。ゆえに、戦争は犯罪であるとは言っていない。」
「ローマがカルタゴとの間に結んだ講和は、厳しかったかもしれない。だが、それは、報復ではなかったし、ましてや、正義が非正義に対してくだす、こらしめではまったくなかった。戦争という、人類がどうしても超脱することのできない悪業を、勝者と敗者でなく、正義と非正義に分けはじめたのはいつ頃からであろう。分けたからといって、戦争が消滅したわけでもないのだが。」
勝った方が正義とは限らないし、そもそも多くの場合、正義と非正義の区別なんてどっちから見るかで変わるもんですよね。西側から見たら非正義、でもプーチンにはプーチンにとっての正義がある。とは言えあれは侵略戦争やし、犯罪やと思いますが。

カルタゴとの戦争が終わりローマは西地中海の覇権を握ります。つかの間の平和を享受していたローマにはギリシア諸国(ヘレニズム諸国)から対マケドニアの面倒な支援要請が届きます。マケドニアがギリシア諸国に圧力をかけてきているのでローマの軍事力でなんとかしてくれということです。
「仲間の力が弱ったと見るやただちにそれに乗ずるのは、ヘレニズム諸国のいつものやり方である。」
嫌いやな~。でも現代の国際社会でも一緒か。

「パトローネス(保護者)は言う。政治的外交的軍事的自由は制限されるだろうが、秩序と安全は保証する。クリエンテス(被保護者)は反論する。自由か、しからずんば、死か。人類は、スキピオの時代から二千二百年も過ぎていながら、いまだにこの両者の考えの正否に結論が出せないでいる。」
僕は自由より秩序と安全の方が良いな~。

「他者よりも優れた業績を成しとげたり有力な地位に昇った人で、嫉妬から無縁で過せた者はいない。ただし、嫉妬は、それをいだいていてもただちに弾劾や中傷という形をとって表面化することは、まずない。嫉妬は、隠れて機会をうかがう。機会は、相手に少しでも弱点が見えたときだ。スキャンダルは、絶対に強者を襲わないからである。」
人間っていやらしいな~。スキャンダルが表面化した時点ですでに陰りが見えているわけですね。

ローマ救国の英雄スキピオは自身が病弱であったことと身内のスキャンダルから政敵(大カトー)からの攻撃を受け失脚します。
スキピオはローマ出身で大貴族の一員(ただし長男ではない)。政敵大カトーは地方の平民出身。
スキピオ支持派の塩野さんは9ページにわたり、なぜ大カトーがスキピオ失脚に固執したのかについて考察しています。この巻を通して一番考えさせられたこの箇所、5~6回読み返しました。
「農民をしていたこの若者(後の大カトー)を、その地方の大地主でもあった貴族のヴァレリウス・フラックスが見出し、中央政界に登場させた。学識も豊かで弁説が実に巧みなこの若者を、スキピオの属するコルネリウス一門と主導権を争っていたヴァレリウス一門が、自派の論客として活用しようと考えたからである。」
「戦場での実績は、他者に比べて劣ったわけではないが、スキピオと比べれば比較にならなかった。(大)カトーの”戦績”は、もっぱら元老院の議場で、つまり弁論でなされたのである。演説の巧みさでは、群を抜いていた。しかも、彼の弁論は・・・(中略)・・・元老院議員や、市民集会に集う市民たちが相手であったのだ。となれば、この人たちに耳を傾けさせる最良の方法は二つだった。第一に、他者の、それもとくに有力者への攻撃。第二は、意外とユーモア好きであったローマ人の気質に合わせて、演説をユーモアで色付けすること、である。」
「とはいえ、結果のほうはどうであったのか。(大)カトーの愉しい演説には喜んで耳を傾けた議員たちだったが、票を投ずるとなれば別だった。・・・(中略)・・・(大)カトーの愉快な演説は、意外と票に結びつかなかったのだ。」
「王政を排し、少数の指導者たちの合議で機能する寡頭政では、一個人の台頭は王政につながるものとして危険視される。スキピオ自身にはその想いがなくても、彼の存在自体がこの危険を内包しているのである。(大)カトーは、アウトサイダーで終ってもしかたのなかった自分に機会を与えてくれたことからもなお、ローマの共和体制を重んじ、その維持に執着したのだ。歴史上では、アウトサイダーのほうがかえって旧体制維持に情熱を燃やす例にしばしば出会うが、(大)カトーの場合もこれにあたる。」
「「穏やかな帝国主義」は、(旧敵国の領土内にローマの)軍隊を常駐させないやり方であるために、相手方も納得してそれを許容しないかぎり、失敗に終る危険を常にもつ。スキピオのやり方に(大)カトーが反対を唱えた真の理由は、失敗に終った場合にローマ人が支払うはめになる、犠牲の大きさではなかったかと思われる。(大)カトーは、第一次ポエニ戦役後に寛容な内容の講和を結んだあげく、その二十年後に不意打ちをくらう結果になった、第二次ポエニ戦役を忘れることができなかった。ハンニバルがイタリアに攻めこんできた年、(大)カトーは十六歳だった。
「同年輩であるのにスキピオは、カルタゴ人によって父を殺され叔父を失い舅を殺されていながらも、過去よりも未来を見る性向が強かった、反対に(大)カトーは、過去を常に振り返っては今のわが身を正すタイプであったのだろう。」
「スキピオの死のわずか四年後に、(大)カトーの心配は当ってしまうのである。」
この箇所を繰り返し読んで、悲しいと言うか、切ないと言うか、いたたまれないと言うか、人間の性を思って暗い気持ちになりました。
中央の大貴族の一員として生まれ、経済的にも裕福、才能にも恵まれ、男前で、開放的で人をすぐ自分の味方にしてしまう能力まで併せ持っていたスキピオ。対する(大)カトーは有能な論客としては迎えられていても平民出身であるがゆえにきっとヴァレリウス一門の中でさえ一段下に見られていたんだろうな~と想像します。(大)カトーの心の内を思うと、全てを持っているスキピオに憧れはしても、僕は(大)カトーに親近感を覚えます。

「戦争か平和かを自分たちできめられるということは、自主独立であるということである。」
よそ者に決められたらたまったもんじゃないけど、現実はよそ者が決めるパターンが多い。

「介入とは、長びけば長びくほど介入した側に不利に変るのである。」
初めっから関わりたくないな~と思っちゃうのは日本人だからかな?それとも僕だからか?

「敗北とは、敵に敗れるよりも自分自身に敗れるものなのである。」
厳しいな~。これだと何かの所為(せい)にできない。

「紀元前二世紀のギリシア人も、ペリクレス時代同様、ことあるごとに自由と独立を唱えることでは変らなかった。変わったのは、自由と独立の現実化となると、他国に頼るか、でなければ友人の危機につけ入ることしか知らない点であったのだ。」
情けないな~、汚いし。これでは自主独立やない。

「指導層の軟弱な態度は、たとえそれがやむをえないことであっても、しばしば庶民のナショナリズムに火を点けるものである。」
それを利用しようとする輩も出てくるし。

「成功者には、成功したがゆえの代償がつきものである。ローマ人も、例外ではなかった。」
喜んで代償払うから成功させて!お願い!!