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徒然なること

塩野七生さん「勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲ」を読み返す・その③

2025-02-12

こんにちは、Portafortuna♪光琉です。

寒い日が続きますね。

今月のスコーン2月:きんかん

さて、今月のスコーン2月はきんかんです。自家栽培きんかんを国産氷砂糖と漬け込んで作ったきんかんのシロップ漬けを、スコーン生地にたっぷり入れて焼き上げるスコーンです。少しビターで大人な風味。きんかんの収穫量の関係で、きんかんのシロップ漬けがなくなり次第終了となります、お早めにどうぞ。

さて、塩野七生さんの著作を読み返すシリーズ、今回は「勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲ」の③です。

「勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲ」その③

シチリア・カターニアにあるローマ円形劇場の遺跡

混迷期真っ只中のローマ。
「高貴な生れと裕福な環境に恵まれていた二人が、高貴でも裕福でもない人々の権利を守ろうとしてあいついで散った年から十年の後、先祖の名も定かでない一人の男が、ローマの中央政界に登場しつつあった。名を、ガイウス・マリウスという。」
地方出身で平民の家に生れたマリウスは、ローマ軍団の中でキャリアを積み上げていきます。二十三歳の時には、当時のローマで最高の武将として衆目一致していたスキピオ・エミリアヌスに、将来ローマ軍団を率いていく器になると予見させるほど優秀だったマリウス。三十八歳で護民官になるまで軍団で過します。ところが、その後は他の公職に立候補しても落選したり、当選して執政官や法務官、属州総督といった要職をつとめた期間も、可もなく不可もなくの業績。結局四十八歳の時にアフリカで起こった「ユグルタ戦役」に副将として派遣されるまでは目立った実績を残すことはありませんでした。戦闘では勝っても戦争では勝てないローマ軍。副将であったマリウスは自分が最高司令官になることで一気にことを決しようとします。選挙を経て最高司令官=執政官になったマリウス。当選後の施政方針演説では、
「元老院階級に属す人々への批判が何度も執拗にくり返されていて、説得力はあるが品格には欠ける。だが、大衆とはいつの世でも、権力者や富裕階級への批判は喜んで聴くものである。」
批判される側になりたいな~。

グラックス兄弟とマリウスは同時代人です。
「結果としてならば三人とも、失業対策にかかわったことになる。グラックス兄弟は意図的に、一方のマリウスは非意図的に。そして、グラックス兄弟の構想は彼らの死によって中絶したが、マリウスは、あっけないくらいに簡単に実現させてしまったのであった。」
なんちゅう皮肉やろ、グラックス兄弟が一層不憫でなりません。

ローマ軍の中で過してきたマリウスです、ローマ軍の質の低下もその原因も見抜いていました。グラックス兄弟も見抜いていましたが、質の低下の原因は、昔なら徴兵の対象とならなかった低所得者にまで対象が拡大されていたことでした。自分が出征している間、あるいはもし戦死することでもあれば、その後の家族の生活はどうなるのか。資産のない彼らにとっては重要な問題です。そんな状況で戦争をしても志気があがることはありません、ローマ軍の質が低下するのも当たり前です。だからグラックス兄弟は彼らに農地という資産を与えることで解決しようとしましたが、既得権益を失うことになる元老院の反対で頓挫しました。マリウスはというと、軍制改革を行うことでこの問題を解決しようとしました。すなわち、徴兵制から志願制への転換です。これにより低所得者・無産者を兵士として国が雇うことにしたのです。雇用を創出し、同時に彼らにローマ市民としての誇りを取り戻させたのです。
「それにしても、マリウスによる軍団改革は、共和政ローマの根幹にふれる改革であった。それなのに、さしたる反対もなくスムースに実現している。」
その理由を、塩野さんは、市民が元老院階級の指揮能力に疑いを深めていたこと。元老院自体もその現状を認識していて、手を打たねばならないという空気があったこと。富裕な元老院階級の既得権益を損なう改革ではなかったこと、低所得者・無産者から好評を得ていたこと、そして
「グラックス兄弟の改革が「体制外改革」であったのに対し、マリウスの改革は、彼がそれを護民官時代に提唱したのではなく執政官として実現したために、「体制内改革」であった」ことを挙げています。
やっぱり既得権益と体制内・外かよ~、トホホな元老院。
塩野さんはこう続けます。
「だが、体制内改革であるからと安心していた元老院は愚かだった。」
マリウスの軍制改革により、軍に雇用されることで職を得た人々、逆に徴兵制がなくなったおかげで戦地に行かなくてもよくなった人々が「民衆党」とでも呼んでよい新たな党派として誕生したのです。彼らはもちろんマリウス支持。
「もともとからして非政治的なマリウスを、政党の頭目に押しあげるという皮肉な結果を生むことになった。」
身から出た錆ですよ、元老院の皆さん。

軍制改革を行ったマリウスはユグルタ戦役を終らせるため再びアフリカに向います。しかし意気込んで向かったものの戦況が一変したわけではなく、なかなか決着はつきませんでした。軍事力に加え外交力も必要な局面を迎えていました。ところがその面には疎いマリウス。そこに登場してきたのがこの後のローマ社会のもう一人の主人公になるルキウス・コルネリウス・スッラです。
スッラ家は名門貴族ではありましたが、当時はあまりぱっとしない家で、貧しく賃貸アパート暮らし。性格は開放的で、一兵卒達からの評判もよく
「上位の者に対しては、礼儀は守っても毅然とした態度は崩さず、言うべきことははっきりと言った。・・・(中略)・・・立居振舞には常に品位が漂っていた。このスッラには、劣等感に悩むところだけはまったくなかった。野心家ではあった。だが、卑しい野心家ではなかった。」
魅力的な感じですね。
このローマ人の物語はハードカバーで15冊にも及ぶ大作です。これまでにもたくさんの人が出てきましたが、この先も膨大な人が登場します。でも、ローマ人の物語を初めて通しで読んでから15年ばかり経った今でも記憶に残っている人は正直なところ少ないです。既に登場したスキピオ・アフリカヌス(とハンニバル)、カエサル(とブルータス)、キケロ、アウグストゥス(とアグリッパ)、カリグラ、ネロ、トライアヌス、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウス、カラカラ、コンスタンティヌス、そしてこのスッラぐらいなもんです。あの時のスッラの印象は「とにかく恐ろしい人、厳格な人、私利私欲のない人、潔い人」でした。「ローマ混迷どころか暗黒時代やん!」って思いながら読んだ記憶があります。でも今回読み返してみたら、恐ろしくはあるけれどそんなにでもないなと印象が変わりました。晩年のマリウスのほうが恐ろしい。スッラは後年ローマの実権を握った後でいろいろとやるのですが、2000年経った今から見れば結果的には悪あがきだったようにも見えるのですが、当時のローマに生きたスッラにしてみれば、これがローマの理想の姿、あるべき姿なんだと、その姿を実現させるためにはいかなる手段でもとる、いかなる犠牲も払うということだったんだろうな~と思うようになりました。

話をユグルタ戦役当時に戻すと、とにもかくにもスッラの外交力のおかげでローマは戦役を勝利で終えることができました。最高司令官のマリウスの名声はさらに高まりました。

「人間とは、食べていけなくなるや必ず、食べていけそうに思える地に移動するものである。これは、古今東西変らない現象である。この種の民族移動を、古代では蛮族の侵入と呼び、現代ならば難民の発生という。」
え~!難民ってそういうこと!?そういう難民もいるってことかな。戦争で難民になった気の毒な一般人を蛮族の侵入と言ってはさらに気の毒やもん。
「食べていけなくなった人々の移動が、平和的になされるか暴力的になされるかは、たいしたちがいではない。いかに平和的に移ってこられても、既成の社会をゆるがさないではおかないがゆえに、民族の移動とは、多少なりとも暴力的にならざるをえないのである。この難問に直面するたびに、ローマ人がどのようにそれに対処していったかは、ほとんどローマ史そのものと重なってくる。」
これまで蛮族が侵入してくるたびにローマは武力で排除してきました。でもローマの国力が増して余裕がでてきた今、ローマは自ら蛮族の住む地に出向き、彼らを征服するようになりました。そのうえで、街道を敷設し植民都市を建設し、インフラを整備し、その結果その地が豊かになることで、彼ら蛮族がわざわざローマに侵入してこないでも生きていけるようにしました。
「ただし、このローマ式やり方は、現代では、侵略路線であり、帝国主義であると断じられて評判が悪い。現代では、同じ問題を人道主義で解決しようとしている。ただし、解決しようと努力しているのが現状で、解決できたわけではない。」
ここ興味深くないですか?最後の一文ニヤッとしちゃった。ご立派なイデオロギーを掲げて議論することだけに時間を浪費して、結局そこに住む人々に食の確保と安全保障を提供できなきゃ意味がない。だから僕はこのローマ人のやり方は現実に即した上手いやり方だと思います。
ローマ人にしてみたら「確かに、あいつらを征服したのはしたけどさ、でもそれってさ、あいつらが俺らの領土に侵入してきては悪さばっかりしとったからやん。俺らが汗水垂らして折角作った街もインフラも壊されるは、育てた食料は奪われるは、国民殺されるわでたまったもんやない。だいたい2000年前やで!ブルドーザーもクレーンもトラックもないしコンピューターもないんやで、全部人力で作っとんねん。気象衛星もないで天気予報もあてにならんし、化学肥料もない中で小麦育てるのどんだけ大変やと思ってんねん。あいつら槍や刀や弓矢で襲ってくんのやで、ええ薬もないし、手術も大してできへんし、輸血もないんやで。めっちゃこっちの国民殺されたんやで。退治しても退治してもしばらくしたらまた性懲りもなく戻ってきやがって。でもさ、あいつら捕まえて話聞いたら、信じられやんぐらい非文明的やねん。皆で力合わせて街を作ったり、小麦育てたりってようやらんのやって。そやでしゃーないから俺らローマ人が行って街も街道もインフラも作ったったし、そのやり方も教えたったんやん。あいつらがよその領土にちょっかい出さんでも自分たちのところで食っていけるようにしたったんやん。あん時俺らが手伝ったった街が2000年経っても立派に街として存続しとるところもあるんやで。あいつらが文明的な生活ができるようになれたんは俺らローマ人のおかげやで。それを侵略や覇権主義とか言うわけ?勝手に言うとれや!」って言いたいでしょうね。

そしてこの頃、現代のデンマーク・ドイツのあたりに住む蛮族が豊かなイタリア半島を目指して南下してきていました。それへの対処を託されたマリウスですが、その前にユグルタ戦役のため中断していた軍制改革を進めます。
「しかし、すべての物事は、プラスとマイナスの両面をもつ。プラス面しかもたないシステムなど、神の技であっても存在しない。」
だから難しい。おまけに時間の経過とともにプラマイが逆転したりするやないですか。めっちゃ考えたハズやのにいつの間にかマイナスしかないやん!みたいなことありますよね。
で、このマリウスの軍制改革のマイナス面は、ローマ軍団の「私兵化」というのが歴史学者たちの意見です。これが後のマリウス・スッラ・ポンペイウスそしてカエサル台頭の土壌になったということなんだそうです。でも、これ上手いことやってたら避けることできたんやろか?それにこの人たちの台頭って絶対的に悪いことと言い切れるのかな?

軍制改革を実行したマリウス率いるローマ軍は蛮族に勝利、ローマに平和が訪れます。マリウスの人気も天井知らずでした、ここまでは。

「五十六歳は男にとって、肉体はともかく、頭脳の働きが衰える年齢ではない。ところがマリウスは、五十六歳を境に下り坂を落ちる一方に変るのである。」
将として才能豊か、粗野ではあっても正直で素朴、公平、公正、気配りもでき、勇気もあり、勝機をつかむ才能ももちあわせていたマリウス。でも、
「ローマの高等教育を受けなかったことは、武将としてはたぐいまれなこの男を、もつ必要のない劣等感に落としこむことになる。確固とした自負心のみが、劣等感に悩むという「地獄」に落ちるのを防ぐのだ。そして、過度な劣等感くらい、状況判断を狂わせるものもないのである。」
切なくなります。スキピオ・アフリカヌスの政敵・大カトーに通じるものを感じます。生れが地方で平民だったために、中央の高等教育を受けられなかった、本人の所為じゃない。軍隊で頑張った結果、中央の名門貴族でもこれまで得られなかったような最高の地位も名誉も手に入れた。なのに、こんなことに劣等感を感じざるをえない。今の日本にも霞が関や永田町にはそういう世界が残っているそうですが、人間世界の嫌なところですね。

さて、蛮族を撃退し平和になったローマは新たな問題に直面します。この時代のローマ軍は志願制にはなっていましたが、常備軍ではなく戦争が起こるたびに召集される制度でした。戦争がない時には兵士がいないということです。蛮族に勝利し平和になったローマには兵士が必要ではなくなります。軍隊は解散され兵士は職を失うということになります。でも、軍制改革によって職業軍人になった多くの人々は、かつての低所得者・無産者たちです。ローマが平和になり兵士が必要なくなるということは、すなわちかつての生活困窮者たちが再び困窮者になるということです。これを放っておいては社会不安になるのは明らか。そこで兵士には退職金と次の職が見つかるまでの失業手当を支給する必要があります。要するに農耕地と農業を始めるにあたっての開業資金を配るということです。しかし、政治的なことには疎いマリウス、どうしたらいいのかわかりません。なんだか、カルタゴの名将ハンニバルと一緒ですね。彼も軍隊での生活しか知らなかったがために政治の世界では苦労しました。
塩野さんは、ローマ社会には義理人情的精神が根付いていたと言います。
「ローマ人が創り出した法の概念と、義理人情は矛盾するではないかと言われそうだが、私の考えでは、思うほどは矛盾しない。法律とは、厳正に施行しようとすればするほど人間性との間に摩擦を起しやすいものだが、それを防ぐ潤滑油の役割を果すのが、いわゆる義理人情ではないかと考える。法の概念を打ち立てたローマ人だからこそ、潤滑油の重要性も理解できたのではないだろうか。」
こういう法曹界であって欲しいと思います。「おいおい、法律的にはそうかもしれやんけど、被害者の立場に立ったれよ」ってことよくありますよね。
「マリウス、スッラ、そしてポンペイウスもカエサルも、義理人情を理解した男たちであった。彼らと兵士たちとの関係を、近現代のほとんどの研究者たちが「私兵化」であると一刀両断して済ませるのは、その人々が人間関係における義理人情の重要さを解さない、いや解そうともしない欧米のインテリだからである。」
ニヤっとなります。ヨーロッパのインテリはそんな感じしますが、アメリカのインテリもそうなのか~、ちょっと意外。日本のインテリはどうやろ?そっちに傾いているような気がしますが。

解職された兵士たちの再就職問題。マリウスに代わってと言うか、マリウスの人気を利用して解決しようとする人が現れます。護民官サトゥルニヌスです。グラックス兄弟の崇拝者だったサトゥルニヌスですが、
「崇拝者のほうがしばしば創始者よりも過激化するのは、珍しい現象ではない。」
ガイウス・グラックスの片腕フラックスと一緒ですね。マリウス人気にあやかり市民集会で新法を可決させていくサトゥルニヌスですが、財源のことは考えていなかったようで、元老院が反対します。でもサトゥルニヌスはマリウスの人気と市民受けする法律でもあったことから強硬に推し進めます。平民側である護民官サトゥルニヌス対貴族である元老院議員の対立を仲裁できる立場にいるのは執政官マリウスしかいません。でもマリウスは政治的な動きはできません。さらにマリウスにとっては、自分に従って一緒に戦ってくれた元兵士たちに再就職先を与えられる機会でもありました。サトゥルニヌスの新法に賛成します。ところが、ここでサトゥルニヌスが過ちを犯します。任期一年の護民官に翌年もなりたいサトゥルニヌスですが強力なライバルがいました。サトゥルニヌスはその男を殺させます。元老院側にチャンスが訪れたということです。ガイウス・グラックスの時と同じ元老院最終勧告=非常事態宣言が発令されます。秩序を乱す者を執政官は裁判を経ずに殺すことができます。執政官マリウスは窮地に立たされます。迷った揚げ句マリウスはサトゥルニヌスとその支持者たち「暴徒」を鎮圧する先頭に立ちます。簡単に制圧したマリウスですが、サトゥルニヌスを殺しはせず、建物に閉じ込めます。ところがサトゥルニヌス憎しの一派がそこを襲い「暴徒」たちを殺します。その間マリウスはその無法行為を阻止する行動は起こさなかったのです。この件でマリウスは平民からも元老院からも距離をおかれるようになり、ローマを離れギリシアに渡ります。マリウスの時代が終わりました。後年ローマ政界に復帰するマリウスですが、その時には変わり果てた人間になっています・・・。

ここから8年間、ローマは平穏な時間を過ごすことになりますが、
「この時期のローマ人が享受した平和は、問題のすべてを先送りしたがゆえの平和であったのである。」
人間だから仕方ない。
「だが、このことを認識していた、ローマ人もいた。」
頼もしい人もいるもんです。そのローマ人は護民官ドゥルースス。30年前に元老院がガイウス・グラックスを失脚させるのに利用した護民官ドゥルーススの息子です。
「元老院に属すくらいだから、ドゥルースス家も裕福な既得権層の一員だった。だが、息子は、父と同じ道は歩まなかった。・・・(中略)・・・年齢は若く(三十九歳)ても教養の深さでは、元老院内の最良の人々にも遜色のない人物を見られていた。まだ元老院議員ではなかったが、将来の元老院の、つまりは国家の、指導的立場に就くこと確実と目されていた人物である。その彼だからこそ、表面ならば穏やかな海の下にまで目がとどいたのであろう。」
マリウスがこういう家に生まれていたら違ったのかな?と思ってしまうのですが、同時に、こういう環境に生まれなかったからこそあのマリウスがいたのかな?とも思います。恵まれた環境に生れ育たなかったからこそそれをバネに頑張れたのか?恵まれた環境に生まれ育っていたらさらにすごいことになっていたのか・・・。とにかくローマにはまたも有能な人物が現れたということです。

この護民官ドゥルーススが提起したのが、これまでこれが提起されるや必ず国中が大混乱になり流血騒ぎになっていた「市民権の拡大」です。こと市民権の話になると平民貴族関係なく一致団結して拡大反対になるのがローマ人でした。でもごく一部の見える人には見えるんです。ローマ市民権を拡大しないことにはローマ社会はいずれ成り立たなくなるということが。この時代、ローマ市民権をもつことがあらゆる面で有利になっていました。ローマ連合に加盟する諸都市はローマ市民権の拡大を求めますが、連合の盟主ローマが首を縦に振りません。諸都市は一万人規模のデモ隊をローマに送ろうとまでします。が、それを説得してやめさせたのがドゥルーススです。しかし、ドゥルーススが市民権拡大についての新法を提出するや、案の定大混乱。その混乱に乗じてドゥルーススは殺されます。倒れたドゥルーススのそばには靴屋が使う小刀が捨てられていたそうです。またか!ローマ人って、気に喰わんとすぐ殺すな。こんなことばっかり繰り返しとったら、なんかしようとする人おらんくなるんとちゃうかな?と心配になります。
「恵まれた階級以上に頑迷な守旧派と化す「プアー・ホワイト」は、いつの世にも存在するのである。」
権力者に躍らせれる名もなき人々、ずる賢い人たちに利用される名もなき人々、腹立つわ~。

でも、このドゥルースス殺害がローマに重大極まりない危機をもたらします。絶望したローマ連合加盟諸都市どうしが密かに連絡を取り合うようになります。そして事の重大さに気付いてない愚かなローマ市民と元老院はそのことにさえ気づきませんでした。
「紀元前九〇年を待たずに、史上「同盟者戦役」の名で知られる戦争が勃発した。・・・(中略)・・・イタリア半島の中部と南部に住む諸部族が、同時に蜂起したのだ。・・・(中略)・・・二百五十年もの間ローマの「同盟者」であった人々が、盟主ローマに反旗をひるがえしたのであった。」
「百三十年昔の第二次ポエニ戦役では、ハンニバルの悲願であり、それでいてついに果せなかった「ローマ連合」の解体が、ここにきて現実化したのである。トレッビア、トラジメーノ、カンネと、ハンニバル相手にローマが、大敗を喫しつづけていた時代でも見捨てなかった「同盟者」たちが、ここにいたってローマを見捨てたのであった。政治的な意味に留まらず軍事的にも「同盟者戦役」はローマにとって、痛烈な平手打ちを意味した。」
あ~あ、やらかしましたねローマ。内乱やん。しかも、欲に絡んだ内乱ではなく、盟友が盟主に絶望したことによる内乱。困難な時にずっと支えてくれていた人たちについに愛想をつかされたローマ。マズイですね。だいたい内乱なんて外敵にとってはチャンス到来やないの。
ローマに反旗を翻した同盟者たちは合同で国家を作ることを決めました。首都を定めたり、公用語を定めたり、国家の形態を決めたりもしました。そしてその国名は「イタリア」になりました。
「寝耳に水ではあったが、ローマ人は、ただちにことの重大さを完璧に理解した。」
さすがと言えばさすがですが、もっと早く理解しとったら良かったのにね。ことが起こる前に「あいつらどうも本気やで」とか思わんだんやろか?
内乱は避けられないと覚悟したローマ側も万全の体制で臨みます。昨日まで味方だった者たちが敵味方に分かれて戦うわけです。当然互いのことを知り尽くしています。戦争は激戦となり、双方多大な損失を被ります。戦役一年目は決着がつかずに冬の休戦期に入ります。そしてローマでは、この休戦期についに、ようやくにしてローマ市民権の拡大を決定します。
「今度ばかりは、怒号もなく、提案者の暗殺もなしにである。ローマ人は、政治の失策を修復するのに、軍事でごり押ししてその結果泥沼化するよりも、政治的なやり方で修復するほうを選んだのである。それに、何といっても理は、「イタリア人」の側にあった。」
内乱が始まる前に、ローマ市民権拡大せんとヤバいことになるかもってことを一般のローマ市民に想像しろと言っても無理な話だとは思います。でも、元老院は想像できやなアカンだやろ、と思います。それあんたらの仕事やん。で、それを市民に伝えやなアカンだやろ?無能集団やん元老院。

ローマ市民権の拡大を求めて立ち上がったイタリア人側。その市民権が得られた以上戦争を続ける必要はありません。春が来て戦争再開の季節になりましたが自然消滅のようになりました。が、一部で戦闘が続きます。
「闘う大義名分は失われても、闘ううちに芽生えた憎悪は残る。憎悪さえあれば、そしてそれに火を点ける指揮官さえいれば、戦争はつづくものなのだ。」
ウクライナでもガザでも憎悪は残る。そして増幅されてしまう。悲しいけど現実。早く終わってくれ。

この市民権の拡大を決めた「ユリウス市民権法」は画期的で、ローマ国家の方向転換であったと、塩野さんは考えます。ローマ連合は解体され、これまでローマ連合に加盟していた各都市国家の人々は全員ローマ市民になり、各都市国家はローマの地方自治体に変りました。このローマ連合の解体を塩野さんは発展的解消だったと言います。これによりローマは都市国家ローマから世界国家ローマへと変貌を遂げたんだと。
「建国途上ならば、いかなる国でも異分子受け入れに寛容になる。しかし、覇権国家になって以後も異分子の受け入れに寛容な国家は珍しいのではないかと思う。」
既得権益を守りたい、自分たちだけが得したいって思っちゃうからかな?横取りされたくない、異分子にいい思いをさせるのはなんとなく癪に障る、異分子受け入れると面倒なこと起こりそうやし、とか。でも、それを受け入れたローマはさらに強くなりそうな気がします。

ガイウス・グラックスが最初に提案してから三十年経過してようやく決断したローマ。
「「同盟者戦役」で流された血も、都市国家ローマを世界国家ローマに切り替える端緒になったことによって、無駄ではなかったのであった。」
さすが、冷徹な考察。

また長くなってしまいました。続きはまた今度。