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徒然なること

塩野七生さん「勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲ」を読み返す・その⑧

2025-03-26

こんにちは、Portafortuna♪光琉です。

2025桜アフタヌーンティー、桜がテーマだけに和の趣があります。重箱に入れてみても面白いんじゃないかなと思って遊んでみました。やっぱり似合いますね。でも、重箱なんて自宅用に1セットあるだけなので提供することはできないな~、残念。

さて、今回はようやく勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲの最終回です。

勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲ その⑧

「ルクルスからオリエント戦線における総指揮権をバトンタッチされた」ポンペイウス。自分が連れてきた兵士にルクルスから引き継いだ兵士を加えることができたので、ルクルスに比べたら2倍の戦力も持つことができました。ポンペイウスはその“数”を活用します。外交戦です。兵士数が多いということは敵に対して無言の圧力をかけられるからです。
「ルクルスに追い出されたのにまたも舞いもどっていたミトリダテス」を「簡単に破った」後で外交作戦開始です。当時のオリエントの三強国と言えば、ミトリダテスのポントス、アルメニア、パルティアでした。ポントスとアルメリアはルクルスの頃からすでに同盟関係でした。ミトリダテスはパルティアをも味方に引き入れようとします。が、ポンペイウスもパルティアに同盟の申し入れをします。パルティア王はスッラ・ルクルス・ポンペイウス相手に負け続けていたミトリダテスではなくポンペイウスを選びます。そしてこのことが、パルティアの隣国アルメニアを動揺させます。王子の反乱もあってアルメニア王もミトリダテスを見切り、ローマとの講和を選びます。これによりポントスは孤立、ミトリダテスはコーカサス山中にまで逃げることになりました。そしてポントスは王子ファルナケスがローマに降伏を申し入れます。
その後、ミトリダテスは自死。王子ファルナケスは黒海東岸の地の王に領地替え、ポントスはローマの属州となりました。
「パルティア、アルメニア、ポントスというオリエントの三強国が一致団結すれば、ローマとて地中海を「われらが海」と呼べるどころの話ではなくなっていたであろう。だが、中近東が一致団結しないのは、現代にはじまることではないのである。オチデント(西欧)での同盟とは、弱い国を味方にして強国に対抗するものだが、オリエントでは、強い国の味方になって弱い国を倒すものなのである。」
中近東のニュースが理解し難いのは、こういう文化の違いも理由なんだろうな~。虎の威を借る狐やん。それにしても不思議なのは、一緒に弱い国を倒した次は、強い国が自分の国を倒しにかかるとは思わんのやろか?

ポンペイウスの快進撃はまだ続きます、まずはシリア、続いてイェルサレムも平定します。当時のイェルサレムはキリスト教もイスラム教も生まれる前ですからユダヤ教の都市でした。平定したあと、ローマ人であるポンペイウスは武器を携えずに神殿の聖所に入り、何もないことに驚いただけで何もせずに出てきました。
「しかし、ユダヤ人の神殿内の聖所には、年に一回だけ、しかも最高司祭長一人が入ることしか許されていないのである。ポンペイウスの無邪気な行為は、ユダヤの人々の眼には、神への冒涜としか映らなかった。多神教のローマ人と一神教のユダヤ人との、文化摩擦の最初である。」
これは思わぬところで失敗しちゃいましたね。知らずにやったことなんやから目くじら立てやんといたってって言いたいです、多神教の日本人である僕は。

ここまでやり遂げてポンペイウスはローマに凱旋します。
ここで塩野さんは、この後のローマの政治の中心人物の一人となるキケロ(ポンペイウスと一緒にルクルスに晩御飯をごちそうになった人)が書いた手紙を紹介します。ポンペイウスがオリエントを平定した翌年に同じくオリエントのキリキアの属州総督として赴任中に書いたものです。
「アジア(といえばローマ人にとって、小アジアと中近東を意味した)は、われらがローマによって、果てしがなかった対外戦争と国内の内紛状態から、救い出された事実を直視しなければならない。そして、アジア人がもつ富の一部が、ローマの覇権体制の維持に要する費用として犠牲に供されようと、苦情を言ってはならないのである。なぜなら、この種の犠牲は、この地方に恒久的な平和をもたらすために、必要なであるのだから」
覇権国家らしい言い分ですね。「誰のおかげで平和でいられると思ってんだ?」と言わんばかりの言い草。中近東の向こう側にも強国があって、そこからの侵入を防いでいるのは中近東の国々なんですけどね。どこかの副大統領が「一度でもありがとうと言ったことがあるか!?」とか言って恫喝してましたが、まさに同じ構図。アジアをヨーロッパ、ローマをアメリカにしたらそのまんま当てはまりますね。あるいはアジアを日本・韓国・台湾、ローマはやはりアメリカに代えても同じこと。これまでの人類の歴史上おそらく最強だったそのローマはいずれ滅びました、そこかしこから敵に攻められて。

さて、ローマに帰国したポンペイウスは自身三度目の凱旋式を派手に挙行します。
「ポンペイウスは、「マーニュス」の尊称が、今度こそはまったく皮肉に聞こえない偉業を成しとげたのである。・・・(中略)・・・紀元前一世紀の「ザ・グレート(マーニュスの英訳)」は、地中海の波が洗う地方すべてを、ローマの属州か同盟国かで埋めることを成しとげたのだ。この時期にいたって、実質的にも地中海は、ローマの「内海」に変ったのである。」
確かに偉業ですね。ローマ全土、なかでもローマの街はさぞかし活気に満ちていたことだろうと思うとワクワクします。でも、ローマ人ってここを目指していたの?望んでもいないのにここまで来ちゃったってことない?勝者の混迷・・・勝者の迷走になりかけていない?

「紀元前六三年にオリエントを平定し終った当時のポンペイウスは、まだ四十三歳でしかなかった。年齢的にも、その後を期待することは充分に可能だった。しかも、ポンペイウスがもっていたのは、壮年の体力だけではない。彼は、何もかももっていた。政治力も軍事力も、大衆の支持も。・・・(中略)・・・それなのに「偉大なるポンペイウス」(ポンペイウス・マーニュス)は、ブルクハルト(スイスの歴史家)の言う、「一人の人物」にはなれなかった。ローマ史上の「偉大なる個人」には、ポンペイウスではなく、別の人物がなることになる。」
どうなるんやろ?ポンペイウスどうなっちゃうんやろ?結果は高校の世界史の教科書にも書いてありますが、そのいきさつが気になります。そしてローマ人の物語ⅣとⅤはその「別の人物」がいよいよ登場します。誰もが知っているあの人です。楽しみで仕方ないです。

「勝者の混迷」と題されたこの第三巻、興味深い内容のオンパレードでした。グラックス兄弟、マリウス、スッラ、ポンペイウス、それにその他の人物たち。上手くいった人もいかなかった人もいましたが、皆それぞれローマを良くしようと考えて行動していたと思います。特にグラックス兄弟のローマへの貢献は計り知れないものがあると思います。ローマの進むべき方向性を示した彼らはグラックス・マーニュスで良いのではないかな、そして幸福な人・フェリックスでもあったのではないかなと思います。できれば畳の上で静かに逝って欲しかったですが。