こんにちは、Portafortuna♪光琉です。
今日は3月26日、みつるの日、僕の日です。ポケベルがわからない世代には通じないだろうな~。
さて、「ローマ人の物語」の読み返しシリーズ、第三巻「勝者の混迷」の⑤です。
ここまでティベリウスとガイウスのグラックス兄弟、マリウス、スッラと主要人物4人について読んできましたが、今回からはグネウス・ポンペイウス・ストラボン・マーニュス=「偉大なるポンペイウス」が主人公です。
全てを持っていたポンペイウス。少なくともこの第三巻では塩野さんもポンペイウスのことを激賞してはいますが、どうも塩野さんはポンペイウスはあまり好みではないのではないのかな?と邪推してしまいます。スキピオ・アフリカヌスとかグラックス兄弟、もっと言えばスッラのことを書いている時と比べて文章が淡々としているというか、熱っぽくないというか、ポンペイウスには肩入れしていないように感じるんですよね。実力があるのは認めているけれど、魅力的な男とは思っていない、そんな感じがします。塩野さんの書き方がそうだからか、僕もなんとなくポンペイウスには惹かれない。途中出てくるルクルスの方に共感します。まあ、クラッススよりかはよっぽど魅力的とは思いますが。
勝者の混迷・ローマ人の物語Ⅲ その⑤
「人間にとっての幸福が、考えたことを実現し、その後に来るのが畳の上の死であるならば、ルキウス・コルネリウス・スッラは、彼の自己評価どおりに「幸福な人」であった。だが、人間にとって、とくに公人であることを宿命づけられた人にとって、考えたことも生前には実現せず、その後に来るのが畳の上の死どころか非業の死であっても、その人が属す共同体の将来を指し示す道標を打ち立てたことこそ幸福であるとするならば、ルキウス・コルネリウス・スッラは、「不幸な人」であったとするしかないのである。・・・(中略)・・・スッラの死とともに、彼が懸命に修復に努めた元老院主導による共和政ローマという「革袋」は、再びほころびはじめるのである。それも、スッラの独裁下でも生きのびた、反スッラ派によってなされたのではない。親スッラ派に属す人々によってなされたところが問題だ。」
公人ではない僕には畳の上で死ぬ方が断然幸福です。ゴッホやゴーギャンみたいに死後に評価されたり、ジャンヌ・ダルクみたいに随分経ってから列聖されてもな~、本人わからんし。ちっとも良い思いできやんからつまらんやん。シンパによって壊された、どういうことやろ?興味深い。
ではその親スッラ派の有力者には誰がいたのか、塩野さんは3人を挙げます。まずスッラがずっと信頼を寄せていたルクルス(推定)三十八歳、次にクラッスス三十六歳、そしてポンペイウス二十八歳です。皆若い。これからいろいろ登場するクラッススですが、ここではこのように紹介されています。
「言ってみればスッラ股肱の臣の一人である。ただし、軍事よりも政治よりも、金もうけのほうが得意な男ではあった。」
二千年後の評価がこれではな~、いっそのこと名前残さんだ方が良かったんやないのクラッススさん?で、お前が犯人なん?自分の金もうけのためになんかやったんやろ?
中部イタリアに広大な領地をもつ裕福な家のポンペイウス。スッラが東方のミトリダテス問題を解決した後、一年間のアテネ滞在を経ていよいよイタリア半島に戻った時には、自費で二万もの兵を率いてスッラのもとに馳せ参じました。その時はまだ二十三歳。
「軍事では天才的であったポンペイウスの才能を、これまたその面では天才であったスッラは早くも見抜く。」
弁論が上手とかギリシア語を完璧に使いこなすとか、武術に優れているとかなら本人の努力なんだろうと思いますが、軍事の天才でしょ、戦術・戦略の天才でしょ、二十三歳にして。これ本人の努力とかじゃなく生まれ持っていたんでしょ、選ばれし人ってことで。そのポンペイウスにマーニュス=偉大なる、という尊称を送ったのがスッラでした。それまでにマーニュスの尊称付きで呼ばれた人はただ一人アレクサンダー大王だけで、大王というのはマーニュスの意訳なんだそうです。
スッラの死後一年もしないうちに始まるスッラ体制(=元老院主導による共和政の体制)の崩壊。その始まりは反スッラ派のレピドゥスの蜂起からでした。が、この蜂起は親スッラ派のポンペイウスによりあっけなく鎮められます。始まりの前の「前哨戦」で終わりました。
続いてスペインで始まったのがセルトリウス戦役です。セルトリウスはスッラが軍とともにイタリア半島に戻ってきたときにローマ政府側として戦った反スッラ派の武将で、スッラに敗れてスペインに逃れていました。そのセルトリウスがスペインで力をふるいはじめたのです。ローマはメテルス・ピウスという有能な武将と軍をスペインに派遣しましたが、セルトリウスも有能な武将であったためなかなか解決できませんでした。そこで名乗りを上げたのが二十九歳になっていたポンペイウスです。ところが、ローマには元老院主導による共和政体制を維持させるためにスッラが定めた年功序列制度がありました。それによると軍を率いる総司令官になれるのは早くても三十九歳、ポンペイウスには十歳足りません。それどころか選挙を経たうえで就ける公職にはこれまでついた経験がなく、従って元老院議員ですらありませんでした。
「元老院は、二者択一を迫られたことになる。「スッラ体制」を守り抜くか、それとも、常例に変る可能性を秘める特例であってもそれを認めるか、である。年功序列制か実力主義かの、選択でもあった。」
年功序列をとれば国家の危機、実力主義をとれば共和政の危機。元老院にとっては難しい問題だったでしょうね。僕やったらよう決めやんだと思います。
ところが、この頃ローマは東方にも目を向けざるを得ない状況にありました。スッラに敗れて以後は静かにしていたポントス王国のミトリダテスがスッラの死後不穏な動きを始めていたのです。ローマにはスペインでの戦役を早期に解決する必要が出てきたことになります。結局、実力主義の方に決めたローマ。でもこれが、「スッラ体制」崩壊の第一歩になりました。
ポントス王国のミトリダテスからスペインにいるセルトリウスに共闘の誘いが届きます。
「たとえ地方出身者ではあってもローマ市民であるセルトリウスには、「スッラ体制」の支配するローマに反対する気は充分でも、ローマ国家自体に対しては、他民族と共闘して刃向う気持にはどうしてもなれなかった。彼は、ポントス王の申し出を拒否する。・・・(中略)・・・ローマ人は、自分たちの間で争う時代になっても、他民族と呼応してまで自国を脅威にさらすようなことをしなかった点では、当時の他の民族とはまったくちがっていた。」
格好良いな~ローマ人。ルネサンス時代のイタリアの都市国家とエライ違うな。セルトリウスにしたって自分の個人的野心のために蜂起したわけではなく、ローマのために蜂起したってことなんでしょう。
スペインに派遣されたポンペイウス
「功を急がなかったのはさすがである。三十歳の総司令官は、何はさておいても戦線に駆けつけるという愚は犯さなかった。彼はまず、補給線を確保することからはじめた。」
後に「戦争は兵站で勝つ」とまで言うローマ人、その鏡ですね。三十歳でこの冷静さ、やっぱり選ばれし人だ。
ポンペイウスがスペインに到着し、ローマ政府側はメテルス・ピウスとポンペイウスの二人の指揮官による共同作戦がとられるようになりました。が、有能であったセルトリウスは会戦で敗れてからはゲリラ戦に作戦変更し、これが功を奏し大健闘します。手こずるローマ政府側。
困ったポンペイウスはローマに追加の兵と軍資金を送るように要請します。元老院に向けたその時の手紙ですが、え~!マジで!?よくもそんな手紙書いたもんやなって笑っちゃいました。要するにこういうことです。「追加で兵と金を送ってくれないと俺仕方ないから戦線放棄しちゃうよ、そうなったら戦場はスペインからイタリア半島内部に移動しちゃうけど大丈夫?」だったんです。「スッラ親分が決めた年功序列制度もわかるけど、今は国の危機なわけやん?ここはその制度を捻じ曲げて特例として俺をスペインに派遣してよ、なんとかしたるで」と無理無理派遣してもらいながら「兵と金足らんでもうちょっとちょうだい」って。
やるな~ポンペイウス。私財も随分使ってさらには借金までしたそうですが、でも元老院からしたら「えっ!なんで?派遣できる兵の数も軍資金の額もお前知っとって手挙げたんやろ?ごり押ししたんやろ?そやのに足らんって、お前どんだけ厚かましいねん!なんとかせいよ、お前金持ちやし。スッラ親分がイタリア半島帰ってきたとき私費で随分兵隊準備しとったやん!」って言いたくもなるやろな~。
とは言え、東方ではミトリダテスがますます怪しい動きをしているのを知っている元老院は、しぶしぶにしてもポンペイウスの要請を受け入れます。
それでもセルトリウス戦役が解決するにはそこからさらに二年かかりました、。じわじわ追い込まれたセルトリウスが最後は自分の副将に暗殺されたことで終わりました。一応、よくやったポンペイウス、ですね。